考える時間を持つこと
外山滋比古の「「考える頭」のつくり方」という本を読んで思うところがあったので、それについてだらだら書く。
ちなみに本の内容とはあまり関係が無い。
- 作者: 外山滋比古
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2018/03/03
- メディア: 文庫
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考える時間
考える時間を持つことには一定の効能がある。
普段からまとまった考える時間を持つようにすると、自分の中で「本当は良くないと思っているのだけれど惰性で続けてしまっているようなこと」がわかったりする。考える時間には内省の時間も含まれるのだ。
考える時間を持てていない人は、普段から惰性で行動している傾向が強いと思う。
惰性で行動する者は、例えば TV やインターネットなどのメディアの煽動や流行に流されやすかったり、人間の心理を巧みに利用した詐欺行為などに対する耐性が低かったりする。社会を形成している大多数の人間はこの耐性が低い、つまり考える時間を十分に持てていないように私には見受けられる。
私たち人間は気づいたら楽な方へ流れてしまいがちだ。楽な方とは逆に向かうには意識的な努力が必要である。考える時間を持つことは通常楽なことではないと考えられるので意識して行う必要がある。
考えることを意識しないで行えているような人もいる。これは育った環境とか幼少期の教育によって自然に培われたものだと思う。おそらく少数派だろう。
これができている人たちは、幼い頃からできているケースが多いと考えられるので、そうでない人と比べると、考えるという行為の経験値においてかなりの差がついてしまっている。子供の頃から家事をするのが当たり前の環境で育った人間と、そうでない人間の大人になってからの生活力に差があるように。
そしてこの考える能力は現代社会において最も重要なスキルの一つだと言ってもよいのではないだろうか。
今のインターネット時代では知識を持つこと自体にはそれほど価値はなくて、知識を使ってなにができるか、知識をどう組み合わせるかなどを考えるスキルが求められているからだ。
もちろん知識を持つことは良いか悪いかで言ったら断然良い。だが、知識は量ではなく質が大事なのである。
個人的には知識は持ちすぎないほうが良いと思っていて、頭の中にある程度考えるスペースをつくっておき、必要な時に必要な知識を引き出すようなスタイルが今の時代には適しているのではないかと思う。
発想
イノベーションという言葉が広く普及した。
イノベーションというのは、日本語では技術革新と訳されるが、おそらく本来はもっと広義なんだと思う。
イノベーションはいきなり生まれない。その種は人間の「発想」ではないかと私は思う。そして、発想は考えること以外からは生まれない。
もし既に持っている知識を一時的にでも忘れることができるなら、新しい発想が生まれる可能性は高まるだろうか。人によるだろうか。おそらく新しい発想が生まれる条件には、頭の中に考える余地とか余裕を持つことと思考力の両方が必要だろうから一概にそうとは言えない。
デスクが綺麗に片付いた状態と色んな本や資料が乱雑に置かれた状態のどちらからより新しい発想が生まれやすいかと聞かれたら私は後者だと答える。
頭の中もそうで、新しい発想を生むには色んな知識が頭の中にランダムに散りばめられているような状態が好ましい。もちろん考えるためのスペースも必要だが、これはそんなに広くなくても良い。
新しい発想はリラックスしている時や単純作業をしている時に沸いてきたりしがちだ。たとえばシャワーを浴びている時や皿洗いをしている時などに。これは、新しい発想が生まれるプロセスには一見「意識的に考える」という行為が含まれていないように思わせるが、そうではない。しっかり考え抜いた後でなければ発想は生まれないのである。
人間(の脳)は騙されやすい。そこにつけ込む悪意ある人たちも存在する。また、人は低きに流れるという事実を認めることだ。
考える時間を持つことで、「いま楽な方に流されてしまっているっぽいから、一度立ち止まって考えてみたほうが良さそうだな・・・」などというように自分を客観視し、冷静な判断ができるようになるだろう。
ちなみに、「おれは結構考えてるけどね」と思う人は意外と考えれていなかったりする。(自戒)