「自分の能力は自分の価値を決めない」んだと腹落ちしかけている
ここ最近、「あーこれ!」って思ったことがあるので、忘れないように書き残しておきたい。 また、言語化することでさらに思ったことを深く考えることができるのではないかと期待して。
割り切ることについて
色々あって、一旦はエージェントを通して業務委託の案件をもらうことにした。 といってもまだ案件の契約は頂いていないんだけれど。
先週末くらいからぼちぼちエージェント系のサービスへ登録をし始めて、エージェントから紹介してもらった案件の面談が一件、この間あった。
久しぶりの同業者との会話はとても緊張した。このための準備は結構していたし、面談に対する期待値もそれなりに高かった。
結果的にはマッチングしなくてお断りされることとなったが、マッチしないもんはマッチしないと割り切れたので、これはこれでよかった。
この「割り切り」が、最近はうまくできるようになってきたと思う。
これって、嫌なことを引きづらないこととも似ているんだけど、「もし〇〇だったら・・・」っていうことはいつまでもぐちぐち考えず、次いこう次 みたいな。そういう割り切り。
スパッと割り切れるっていうわけではなく、直後はぐっと落ち込むこともあるしショックを受けたりもする。 ただ、それからあらためて考え直して復活するまでは早くなった。
「よくよく考えると・・・特に気にすることでもないな。次どうしようかな。」
みたいに、すぐに前を向けるようになったと思う。
なぜこうなったかはわからない。気づいたらわりとこんな風になっていた。 今まで読んできた本とか出会ってきた人とか考えてきたことが、少しずつ効いてきたのかもしれない。
自分の能力は自分の価値を決めない
このトピックは言語化するのが難しい。 頭の中で「なんかこんなかんじ」みたいなモヤっとした状態ではあったんだけど、どう言語化すればいいかわからない状態だったので、書きながら考えていきたい。
でもおそらく、この見出しがすべてを表している気はする。
ここで言っている自分の能力・・・というのは仕事のスキルのことだったり、人間関係の構築力だったりコミュニケーション力だったり、おおまかにまとめると、社会において自分がどの程度役に立てるかということが基準の能力 なんじゃないだろうか。たぶん。
で、この社会的価値、社会的評価みたいなものは自分の価値を決めることはない。・・・って言葉にするとなんかすんごい当たり前のことな気がしてきた。
でもそんな当たり前っぽいことを、この36年間全然意識してこなかったし、むしろ否定してきた気すらする。
思い当たるふししかない。 たとえば、自分はその時の仕事が上手く行っているかどうかで、自尊心やうちなる自信・・・つまり自分が考える自分の価値が完全に左右されていたと思う。
これは今思えば、非常に危うい状態だった。 なぜかというと、仕事が上手く行くかどうかは、自分だけではなくその他の色々な要素(例えば他人の行動や運)が決めることもあるからだ。
そんな状態はすごく不安定だ。
社会における自分の価値(社会的な評価みたいなもの)と、自分の考える自分の価値は切り離されているべきだと思う。 これらは一緒くたにすべきではない。
ここが切り離されているからこそ、このしんどい社会で、果敢にチャレンジすることができると思うのだ。 そしてたとえ失敗したとしても、それで自殺するまで追い詰められることはない。はずだ。
なんか上手くまとめられない。
とりあえず、この問題は自分がずーっと悩み続けてきたすべてのことの根っこにあった気がしている。
まだまだ掘り下げる必要がありそうだが、考えるのには時間も体力も精神的余裕も必要なテーマなので、また今度じっくり考えたい。