迷いがあるということ
いつのまにか、1月も後半に突入してしまった。月日が経つのが、ほんとに早くなったと感じる今日このごろ。
「のだ」口調に疲れたので、もうちょいくだけた感じで書いていこうと思う。
流れるように書けるようなんが一番合っていると思うので。
最近のこと
2023年の1月も終わろうとしている。
1月はフリーランス活動の準備だけすると決めていた。仕事は今持っているもの以外にしていない。
このフリーランス活動の準備だが、まあまあ自分にしてはやっていると思う。それなりに・・・。
ただ、計画を立ててこれをこの日までに終わらせて、その後あれやって・・・っていうのが全然できないし、計画の立て方がわからん。
ほんと無計画に生きてきたので、単純に経験不足だと思うのだが・・・。
そんな感じ。
実際、計画を立てずにどういう風にしてきたかというと、まずやるべきことをガーッと洗い出した。
そして、そこにざっくり優先順位をつけ、優先度の高いと思われるものから一個ずつ(ときには同時に)消化していく。といった感じだ。
このやり方が自分に合っているかわからんけど、ちゃんと計画を立てて、カレンダーなりタスク管理アプリなりにタスクを登録して・・・みたいなやり方はどうも避けがちなんだよな。
だから自然とこのやり方に行き着いたというか。
迷いがある
で、このやり方でいいのか、という迷いがずーっとある状態でここまできた気がする。
だから、ちょくちょくネットで他の人がどうやているか調べたり、タスク管理アプリでどういうものがおすすめされているか調べたりしている。
こういう自分のやり方を疑っていくことって、まあ通常けっこう大事なことではあると思うのよね。
でも、なんというか今回の場合、すごくいけない匂いがしている。
なんていうかな、一言で言えば「隣の芝生は青い」だろうか。自分が今持っているものより良いものが、必ずどこかにあると思いこんでいる状態。
だからといってはなんだが、正直この1月の間やるべきことが思っていたより全然進んでいない。
迷うのは、ただ目的を達成するための手段でしかない
自分ではたぶんわかっているのだけれど、こういう「やり方を変えればうまくいくだろう」みたいなのって、今目の前で起きていることを直視するのを避けようとしているんだろうなと思う。
「転職すれば全部うまくいく」、「離婚すれば幸せになれる」みたいな考えと根っこでは同じで。
おそらく、この考え方の転換はすごく応用が効く。
自分は過去にこういった目の前で起きていることを見ないようにするために、別のことに注目しそちらを変えればうまくいくだろう、みたいな状態に陥ることが多かったように思う。
しかも別のことを変えても大抵は問題は解決しない。
せいぜい気分転換になるくらいのこと。
前読んだアドラーの本に書いてあった目的論と原因論の考え方でいうなら、別のことに注目することは、そこに原因を見出している原因論的な考え方をしているっていうことだろう。
これは、目的論の立場に立ってみると「目の前で起きていることを直視したくない」という目的があって、その目的を達成するために別のことに注目しているといえる。
腹落ち感ある。
結論
また同じような状態に陥ってしまってしまった場合は、ちょっと視点を離して考えるようにしたい(自分の状態に気づくことが一番むずかしいかもしれないが・・・)。
そうすれば隠された自分の「目的」が見つけられるはず。
ちなみに、「迷い」について考えたきっかけはブルージャイアント・エクスプローラーの第7巻の影響だ。この巻では、主人公がバンドを組んでいる二人のメンバーの迷いとその迷いを振り切る描写が描かれている。
おわり。