なにを考えているかわからないのが普通
どうも。猫とげーむです(本名から改名した)。
ちなみに、「猫とげーむ」という名前は、昔自分がやっていたYouTubeチャンネルの名称だ(今は別の名前でやっている)。
この名前、どうやらわりと気に入っていたらしい。
ところで、うちには猫一匹が居候している。
この猫が、非常にかわいいのだが、それと同じくらいに厄介なことも多いのだ。
というのも、寝ているときはおとなしくてよいのだが(当たり前のことだ)、起きているときはかまってちゃんモード…というかなにか要求があるらしく足元でミャーミャー鳴いていることが常である。
もしくは、変な鳴き声を上げながら部屋の中をズダダダと走り回っていか、カーテンの裏に隠れて外を眺めている。
あとは生理的な行為である。
まとめると、うちの猫の主な行動は以下になる。
- 寝る
- ごはんを食べる/水を飲む
- おしっこ/うんち
- 毛づくろい
- かまってちゃんモード
- 走り回る
- 外を眺めて物思いに耽る
「なにを考えているのかわからない」
日々私の頭を悩ませているのはこれだった。
人間の他者、いや自分ですらなにを考えているかわからないときがあるのだ。猫がなにを考えているのかわからないなんて、当たり前ではないか。
でも、やはり思い通りになってほしいと願ってしまうのが人間のさがというものなのか、思うようにいかないことが続くと、どうしてもイライラしてしまい怒りたくもなるもの。
猫と3年ほど付き合ってみて、思い至ったことがある。
それは、「ままならない」ということ。
なにもかもままならない、思い通りにはいかないことしかない。
それならいっそ期待しないほうがいいのではないか。
全然期待していなかったけれど、なにがなんだかわからんが、こうなってほしいなーと思っていた方向に進んでるときとか、余計にうれしいじゃない。
たとえば、新しい猫グッズを買ってきて、使ってほしいけれど使ってくれなかったときは、なんでだよーってなる。
逆に、ダメでもともと、使ってくれたらラッキーという心持ちでいたときは、使ってくれなくてもあまりダメージはない。使ってくれたらすごくうれしい。
そういうこった。
なんちゅうか、猫と過ごしていると結構こういうことを考えさせられる。
芸術家や作家さんが猫を飼っていることが多いというのはそういうことなのかも。
さて、まとめ。
猫も他人も(それがたとえ恋人や家族であっても)、なにを考えているかなんてわからないんだから、自分の思ったとおりに行動してほしいとか、そういう期待をしないと少ししあわせになれそう(自戒)。
寝ます。